ミミが死にました

ミミが死にました。2000年1月30日、日曜日、午前11時8分、私たち家族4人と大悟の友達2人が見守る中で、静かに息をひきとりました。二日前にこたつの中で、熱中症にかかってしまったのです。4年10ヶ月の短い生涯でした。ひとつの命を失った深い悲しみと喪失感、そして、あの時ああしていれば或いはもっと生きられたのではないか、という後悔の念が胸に迫ってきて、私は全身から力が抜けたような状態が続いています。

ミミがうちに来たのは5年前の4月の終わりのことでした。大悟の7歳の誕生祝いにフェレットを飼っても良いということになり、大悟の誕生日より5日早い4月30日、いつも仕事でつきあいのあるペットショップで大悟自身が3匹のうちの1匹を選びました。その時のミミはまだ生後7週間、まわりもろくに見えておらず、歩くことさえ上手にできない赤ん坊で、2階の板の間に置くとツルツルとつめがすべっておかしかったものです。ミミという名前は主人がつけました。フェルトのような耳がかわいいからという理由でした。

一言でいうと、よく寝るフェレットでした。ほっておくと一日中寝ていて、たまに起きてフェレットフードを食べ水を飲み、文句も言わずにまた寝て、ケージから出してやればそれはそれでうれしそうに家中を走り回って遊び、またケージに返せばいつでも寝てしまう、便利な存在でした。ケージから出ている間にも、少し遊んだあとは自分で寝場所を探して眠ってしまいます。お気に入りの場所は台所の流しの下のボロきれが重ねてあるところや、スーパーのビニール袋がためてあるリサイクルボックスの中、誰かが脱ぎ捨てたセーターの中などでしたが、毎日次から次へ、新しい寝場所を開拓してしまうので、夜になってミミを探して家中捜索したことも一度や二度ではありません。

成長するにつれだんだんといたずらも上手になり、当初は2階だけをミミの居所にしようとして階段の途中にフェンスを設けようという計画もありましたが、ミミが意外に軽々と、どんなフェンスも乗り越えてしまうので、結局1階のファミリールームも2階の台所もリビングもダイニングも、ミミの住まいになりました。そのかわり、ミミがケージから出ている間は、ミミの部屋(しばらくして1階の工作室がミミの部屋となりました)以外の全ての寝室とバスルームのドアを閉めることを徹底することとしました。そうしないと、子供たちの部屋でカバンやサッカーボールやシューズを噛んで穴だらけにしたり、バスルームにはいりこんでごみ箱をひっくり返し、トイレの水を飲んだり石鹸をなめたり、人間が迷惑するだけでなく、ミミにとっても危険なことが多すぎたからです。

台所では、特に冷蔵庫の裏にミミが入り込まないようにする工夫が必要でした。冷蔵庫の裏でうんちをするのが気に入ったらしいのですが、なにしろアメリカの大きな冷蔵庫を動かして掃除するのは容易でなく、ミミの排泄物は冷蔵庫の裏で異様な臭いを発しはじめ、なんとか冷蔵庫と戸棚の隙間を埋めてミミが入れなくなる工夫をしなければなりませんでした。台所の下の段の戸棚に全てラッチをつけて開けられなくしたり、サイドボードを開けないようにサイドボードの前にはいつも大きな椅子を置くようにしたり、ミミが成長し能力が高まるにつれ、いたちごっこという言葉通り(フェレットは日本語で白いたち、或いはてん)、我々も次々に工夫をしていかなければなりませんでした。

靴が大好きで、自分より大きな運動靴をくわえて階段をのぼったり降りたり、ベッドの下や家具の後ろに隠したりするので、朝学校に行こうとして智美の靴が片方見つからず、結局別の靴で学校に行かなければならない日もありました。(それ以来智美は自分の靴を階段のてすりの上に置くようになりました。)ソックスも好きで、絨毯の上で洗濯物をたたんでいるとミミがそっと近づいてきて、ソックスの片方をくわえて部屋のすみに隠しに行ってしまうのです。古い絨毯のにおいのせいか、2階の我々の寝室がミミにとってはとても魅力的な部屋らしく、我々の寝室にはいると何故か興奮して「クック、クックック」とミミにしては珍しく楽しげに声を出して背中をまるめて横っ飛びし、勢いあまって家具の角にゴツンと頭をぶつけたり、壁にたてかけてあるプラスチックの入れ物の右側と左側から「いないいないばあ」のように交互に顔を出して、おちゃめにこちらの様子をうかがったりと、人間を遊び相手にしてくれることもありました。

フェレットフードとフェレトーン(フェレット用のビタミン入りオイル)以外の一切の食べ物に興味がなかったミミでしたが、唯一好きだった人間の食べ物がチョコレートでした。台所の戸棚が開いていたのを良いことに、大悟がためこんでいたハロウィーンのチョコレートを次から次にくわえてリビングルームの隅に運び、口のまわりからぷんぷん良いにおいをさせていたこともありました。

そうそう、あの脱走事件があったのは今からちょうど1年前、1999年1月4日の夜のことです。友人がニューヨークのお土産を持って来てくれて、玄関先でしばらく話した後、2階にあがってもらい、ひきつづき話に夢中になっていて、きちんと閉まっていなかった玄関のドアをミミがカリカリと開けて静かに外に出たことに、2階に居た大人たちも階下に居た子供たちも、誰も気付かなかったのです。外は氷点下、一面に積もった雪が凍りついて光っています。朝までもし見つからなければ確実に凍え死んでしまいます。家族全員と友人を含めた5人で外に出て、懐中電灯でミミを捜索しました。何しろ「ミミ!」と呼んだところでミミは自分の名前がわかりませんから効果がないのです。それでも皆大きな声でミミを呼び続けました。十数分後、大悟が2軒先の家の前の、道路に止めてあった車の下で震えていたミミを見つけた時は本当にほっとしました。家族全員が肝を冷やした事件でした。

それがきっかけとなって、ミミに鈴の音を覚えさせようという作戦が始まったのです。名づけて「チリンチリン」。チリンチリンと鳴る鈴の音を聞いてちゃんとミミがやってきたら、大好きなフェレトーンを与え、そう訓練することで、いざ屋外でミミを見失った時、ミミを鈴で呼び寄せることができると考えたのです。この作戦は成功したように思われました。確かにミミは、鈴が鳴るとフェレトーンをねだるようになったのです。ただ、しばらくお休みすると忘れてしまうおそれがあり、定期的に練習することが大切なようでした。

あまり賢くないと思われていたミミですが、ケージのラッチを自分で開けられたというのは、今思うとかなりの特殊技能だったようです。ペットショップや友人宅で見る他のどのフェレットも、そんなことはできません。ミミは犬歯をケージのドアのラッチに引っかけて手前に引っ張り、いつでもラッチをはずすことができました。そのため、ただケージにラッチをかけるだけでは十分でなく、ミミの場合、ラッチにさらに棒を差し込んで、ラッチに遊びが全く無い状態にしておかなければなりませんでした。

ほかのフェレットはどうかわかりませんが、ミミは暖かいお風呂に入れてもらうのが好きでした。これは多分、小さい時からの習慣によるものでしょう。お風呂の中で、ミミはうっとり目を閉じて、体中にシャンプーをつけてもらって、気持ちよさそうに浮かんでいました。

最近ではずいぶん人なつこくなり、人のあとをちょこちょことついてまわって、踏まれないかといつも心配していたほどでした。あの金曜日(1月28日)の夕方は、いつものように大悟がミミのケージの扉を開け、眠っていたミミを起こさずに、ミミが自分からケージを出てくるのを待っていました。こたつの中で発見されたのはそれからほんの1―2時間後のことです。体中が熱くなってふらふらしてはいたものの、その時はまだちゃんと歩けたと言います。大悟が主人に報告し、主人もミミの異変に気付きました。

私は大学でシンフォニーのリハーサル中でした。チャイコフスキーのロミオとジュリエットという名曲を演奏できるというのにリード(私の楽器はオーボエで、オーボエを吹くには良いリードが必要なのです)の調子が悪く、本番を翌日に控え、頭の中はリードのことで一杯でした。途中でリハーサルを聞きに主人がやってきて、「ミミが大変だったんだよ。こたつの中で熱くなってた」と言った時も、いかにももう大丈夫だ、危機は去ったというニュアンスを私は勝手に受け取りました。その時は、まさかそのまま弱って死んでしまうとは、全く予想もしていなかったのです。次の日には良くなるものと100%信じていました。その晩は、ミミをケージにしまわず、2階に寝かせたまま様子を見ることにしました。

ところが翌朝になってもミミのふらふらした状態は改善せず、ものも食べず水も飲まず、元気がありません。おしっこをする時おしりを持ち上げている体力も、ないようなのです。もしかしたら熱のせいで脳をやられたのではないか、と疑われました。獣医さんに相談するしかない、という結論に達し、以前にミミが狂犬病の注射をしてもらった獣医さんを訪ねました。体重計に載せると、わずか1.12ポンド(500グラム)しかありません。I hope I can help you. I HOPE.と繰り返した獣医さんの目に、すでに絶望の色が浮かんでいました。リンゲル30ccとステロイド(昔智美が喘息の時よく処方された、プレドニゾンという懐かしい名前でした)を注射してもらい、翌日は日曜日なので月曜にまた様子を知らせてくれと獣医さんから言われましたが、結局、月曜日には悲しい知らせをすることになってしまいました。

日曜日、ミミの最後の日の朝、6時に私が見にいくと、ミミはすでに自分で2階の台所から1階のケージまで、弱った体で移動していました。腎臓がやられたとみえ、途中色の濃いおしっこが床の上に何個所も残っています。体力もろくに残っていない状態で、よろよろと階段を降り、ケージに至るはしごを登り、ケージの中で上の段まで登って宙づりのハンモックの中に体をしずめるまで、どんなに大変だったでしょうと思うと涙が出ます。浅く早い呼吸を続けていて、本人が苦しんでいるのがわかりました。2時間後に見に行くと、いつものようにハンモックの中で、ボロにくるまって寝ていました。呼吸は先ほどよりはゆっくりになっていました。でもそれは、状態が好転したのではなく、最後の時が近づいていたのでした。

死ぬ時に動物は自分の家に帰るというのは、まさにこういうことなんだと私は思いました。ちょっと見ると普通に寝ているようなミミでしたが、実は体温が非常に下がっていたのです。午前11時前には、これはもうだめだ、と誰が見てもわかる程、冷たくなっていました。ハンモックから出して電気毛布で暖めてやりながら、最後を皆で見守りました。ミミの心臓は体が冷たくなった後もかなりの間動き続けていました。最後にふーっとひとつ大きく息を吐いて、心臓が停止しました。開いたままだった瞼を、主人がそっと閉じてやると、いつもと同じ、眠っているようなミミになりました。

いつも居て当たり前だったペットを失うのは本当に寂しいことです。ミミの死を信じたくない、受け入れたくないという気持ちが働き、現実感がありません。フェレットの寿命は6―10年と言われていましたから、まさかこんな形であっというまに逝ってしまうなんて、思いもしませんでした。あれ以来、ミミの部屋にはいってミミがケージに居ないことに気付く時、家具と壁の間にミミの好きだった靴が隠してあるのを見つけた時、トイレ以外の場所で粗相してしまったミミの痕跡を見る時、胸がふさがるような、言葉では言えない寂しさに襲われます。もう台所のごみ箱を高いところに上げておく必要もありません。バスルームのドアを閉めておく必要もなくなりました。家に帰って玄関に一歩足を踏み入れたとたんにミミのうんちを踏んでしまう心配もなくなりました。ミミが外に出ないように玄関のドアがちゃんと閉まっているかどうかを確かめる必要もないのです。

かわいくて静かで愛敬があってちょっととろくて独特のにおいがしたミミ、いつも濡れた冷たい鼻先でちょんと人の足をつついては背中をまるめて歩いていたミミ、何の役にも立たないと言われながら実は非常に大きな存在だったミミを、私は忘れたくないので、こうしてここに書き残しておきます。

2000年2月3日

川崎 康子 記す